記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

水道法改正

 1999年1月にミツカン水の文化センターは創設された。当時社会人大学院生として駆け出しの地域政策研究者だった私は、このセンターの設立に関わり、いつの間にか水文化研究も20年を経過した。

 『水の文化』60号に、この20年の水文化の変化について記した。沖先生、鳥越先生、古賀先生、陣内先生と共にエッセイを寄せた。

http://www.mizu.gr.jp/images/main/kikanshi/no60/mizu60c.pdf

 私が記したのは、日本人の「水への恐れの感覚」が変わったこと。

 しかし、ここに「水道水の公共思想の変化」も追加すればよかったかもしれない。折しも本日は水道法改正案が国会で承認された。競争が働かない市場への民営企業参入が認められた。コンセッション方式では公設施設の独占的営業権が民間企業に認められる。

 日本の水道は蛇口の水を飲める。この恩恵を当たり前と思っている人がいるが、これは世界的な優秀さを示すものだ。一方自治体財源の厳しさと管路更新の費用高騰に「民間の知恵を入れて効率化する」と言う人がいるわけだがよく考えてほしい。いまの水道は効率的ではないのか?取水コストを削減できなければ、水道料金値上げするかもしれないし、収益が管路更新費に充てられる保証は無い。もちろん、災害時にその土地に合った迅速な緊急給水も望めないかもしれない。契約書に「起きるかもしれない事態への細かな対応」を書き込むことは不可能だ。水道は社会インフラなのだから、堂々と公共で運営していただきたい。

 何でも「民間活力」と言うが、競争無き独占民間企業に、サービス水準を落とさずにインフラ更新を行う術があるのか疑問があることは、海外の事例を見ても明らかだ。人口減少にあっては、都市規模の縮減と広域連携を組み合わせねばならない。ならば今のまま公共企業として水道事業と都市・土地・住宅・衛生政策の再編・縮減・重点化をなぜ横断的に進めないのか?

 私は日本の近代水道、現代水道に至る技術者・管理者の文化史は誇りうるものと考えている。その裏に多くの先人の公共性に裏付けられた補償の精神があったことも知っている。その資産を毀損しないことを現在の水道官僚に願っている。