記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

読解力研究、大村はま、43年前の自分に会いに行く

 今年度関わった読解力養成教育を、4月から共同研究にすることとなった。その中で私に求められている役割=私の問題意識は、読解力養成と地域認識力の関係を構築することだ。10年前の大学生なら、フィールドワークに行けば何かしらの発見をしたが、スマホカプセルで育った学生はそうはいかない。語彙力と外部世界がつながっていないのだ。

「今の若いヤツは」とおっさんは言うかもしれないが、そのおっさんも「サラリーマンカプセル」でまちを見るので、忖度ばかりしてトガッタアイディアを出せない人も多い。

 読解力をつけることは、世代をまたいだ人同士、いろいろな価値観をもつ人同士が対話を行うための基本能力で、地域政策の中での読解力は合意形成力の一つでもある。そういう意味でも、この研究はおもしろい。

 さて、私にはもう一つの役割がある。私が中学1-2年の時、国語教育の神様と言われる大村はま先生に習ったことがあり、それを研究に活かすことだ。そこで大村はま先生について書いた先日削除した過去のブログを、ここで再掲しておきたいと思う。ちなみにこの写真を見たもう卒業したある学生に、「先生はきれいな字が書けたんですね」と言われた。

 

---以下、2015年3月31日の記事。

 徳島に来たついでに、鳴門教育大学に行ってきた。前から来たいと思っていたのだが、それには理由がある。
 私が中学1-2年生の時に通っていたのが地元の大田区立石川台中学。その時の国語の先生が、生徒の私から見ると変わった先生で、教科書を使わない。毎回わら半紙に「国語教室通信」「手引き」などを手作りで配る。絵本を選ばせて、そこに台詞を入れさせたり、役割を決めて話し合いをさせ、その評価を記録させる。学年末には1年間のノートと教材を編集させ、索引をつくらせ、学習記録として提出させる。そんな授業だった。
 その先生の名前は大村はま。国語教育の神様と言われた女性で、2005年に99歳で亡くなられた。その「大村はま記念文庫」が鳴門教育大学図書館にあり、生徒が提出し先生がおそらく研究用に保管していた「学習記録」が閲覧できるようになっているのだ。私の学習記録も2冊保管されており、それを見に行ったわけだ。
 いざ39年前の自分の記録に対面してみると、意外と現在の私の人間形成に結びついている箇所が多々あることを発見。当時はちっともおもしろいと思わなかった授業が、実は後から考えると実に役立つことを教わっていたという事実。教育とはそういうものか、とは思っていたが、やはりこの歳でも粛然とさせられる。
 また大村はま先生の進めた単元学習は、いま流行のアクティブラーニングでもあるわけだが、生徒におもねず教育者として職人のような教室運営をされていた姿はいまも参考になる。とてもその粋にはおよばないが。
 そしてもう一つ。
 学習記録がアーカイブされていれば、中年になった私のような社会人はそれを見に戻ってくる。学習記録というのは実に奥が深い。
 閲覧を許可していただいた鳴門教育大学図書館に感謝したい。

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