記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

古賀邦雄著『ダム建設と地域住民補償-文献にみる水没者との交渉誌』

 おもしろい本が送られてきたので紹介したい。古賀邦雄『ダム建設と地域住民補償-文献にみる水没者との交渉誌』(水曜社、2021)である。

■一見やさしいダムの文化誌

 この著書はダム建設について書かれている。というと、土木書、あるいはダムについて疑問を呈する書、最近はダムマニア向けの書が主な分類なのだが、本書はどれでもない。ダム開発時に必ず踏まねばならない地域住民補償について、全国の主なダムについて書かれた文献から、補償の精神を抜き取るという文化誌である。その点では、類書がない。

 著者の古賀邦雄氏はかつて水資源開発公団(現水資源機構)で補償の業務を実際に行ない、その後は自費で全国の河川文献を収集し続け「古賀河川図書館」を運営した。河川関係者では有名である。その古賀さんが『用地ジャーナル』に連載したものを編み直したものとなれば、補償の裏面が書かれていると思われるかもしれない。

 しかし、文体はその逆で、ダム建設時の開発者や、土地を立ち退いた人々、開発に抵抗を続けた人々、新たな生活を始めた人々の補償時の情けと理と利について淡々と書かれた文献を通して紹介している。その簡潔さの裏には、言葉にできないことが膨大にあることを否応なく想像させる。だからこそ、この簡潔なダム開発記述の向こう側には何があるのだろう?と、調べたくなる。

 ダム補償の文化誌の入門書というべき書であろう。

■今考えるべき「開発のたたみかた」

 この中で、私が心惹かれたのは温井ダムの章だ。「来てくれと頼んだ覚えはない」と書いた住民の代表の佐々木寿人。常に水没者の生活再建策を重視した佐々木は、交渉にあたって、立ち退き後の将来ビジョンを示させ、その条件を水没者の全員が納得した時に初めて調査や工事を了解したそうで、これを「温井ダム方式」と呼ぶそうだ。こうした考え方から、くみ取れる教訓は大きい。

 さて、本書を読んだ後、当時開発された社会ストックを考えて見た。ダムは違うが、住宅等では用地収用してつくった大規模ニュータウンが老朽化し、利便性の良い場所だけデベロッパーに売却して再開発する手法が目につく。将来ビジョンが示されないまま再開発事業だけが進むことは、将来世代への補償の文化とはほど遠いのではないか。

 補償は常に当事者生活の現在と将来の折り合いをつけることである。本書はダムの補償の文化誌だけではなく、これからの「開発のたたみかた」までヒントを与えてくれる。