地域政策デザインの窓

政策デザイナーの地域批評

3年目の政策デザインゼミナール

 東京都市町村自治研修所で、昨日、政策デザインゼミナールの基調講演を行った。2年前にお引き受けした時は1年で終わると思ったが、今年で3回目となる。

 実際に来場してくれた方、オンラインの方、合わせて60名の参加者。この参加者は東京都多摩地域各市町村、それに島嶼部の町村の方々。

 政策デザイン×新しい産業振興政策ということで、包摂的成長政策の考え方を紹介した。これはEU発で岸田政権の新しい資本主義に近いものなのだが、現在の高市政権は政策転換し、地域未来戦略ではこれを否定した。そして,先週月曜日には、全国に先端産業のクラスターをつくるという絵を公開したのだが。「経産省の職員のみなさん、もう少し現場のサプライチェーンを見てください」とお願いしたくなるシロモノ。高市さん、大丈夫かな。

政策デザイン入門

 

フードコート化する台湾・台北の士林夜市

  3/15ー19にかけて台湾に行ってきた。今度は、台東、花蓮といった東側が見たかったため。花蓮は魅力的なまちで、これから台湾観光の穴場となるのではないか。

 最終日には台北でお約束の士林夜市を訪れたのだが、3年前と変わっていた。

 3年前は猥雑さがあり、非日常感いっぱいの飲食街。

 この場所がリニューアルされ、現在はこんな感じでショッピングモールのフードコートの様。

 観光客は注文しやすくなったが、非日常感がまったくなくなってしまった。でも、うまい牡蠣オムレツと空心菜炒めを食べに、また来るんだろうな。

矢掛町から井原市とデニム

 1月8日から帯状疱疹になり1ヶ月ダウンしていたので、更新が遅れたが、1月7日に行った矢掛町井原市の報告をする。

 矢掛町は観光業界では「分散型ホテル」というコンセプトで知られた所。どんなもんか?ということで実際に見てきた。

 行くと、道の駅。但し飲食・物販はない。聞くと、それはまちなかに出てくださいという。それにしては、建物デザインが水戸岡鋭治というのはどうなのだろうか?

道の駅

 まちを歩くと、さすが昔の山陽道だけあって趣が残っている。ただ、矢掛ならではの飲食店、物販店はあまり見かけない。端から端まで歩いて滞在時間1時間。

 その後、少し足を伸ばして、井原市役所にうかがった。井原市多摩大学・出原教授のふるさと。事前に連絡をしていただいたこともあって、井原市役所建設経済部観光交流課課長の藤岡健二さんにごあいさつ。

 いつもの調子でアクティブインタビュー。井原はデニム産地で、昭和の頃は全国の7割のシェアを誇ったこともあるとのこと。これは私の勉強不足。デニムといえば、児島と思っていたのだが、児島は縫製のみということ。

 いまでは、市内のクロキ(株)がルイヴィトングループのOEMを行っている。他にも日本綿布(株)があり、まさにデニム生産の集積地。井原デニムの歴史的背景についてはこのサイトがわかりやすい。

www.ibara-denim.com

藤岡さんと。私はデニム。井原は北条早雲の出生地ということで、藤岡さんは北条早雲パンフレットを胸に。

 思わぬ情報を得て、その後、予定にない児島にも足を伸ばし、おもしろい取材でした。サービスを含む生産地ではない場所は、どのように観光地として生き残るのか?いま流行のリノベーションや、古い民家・商家の一棟貸しで果たして生き残れるのか。考えさせる事例でした。

政策デザインゼミナール 総括講義終了

 2年目となる6回に及ぶ政策デザインゼミナールも本日で終了。東京都市町村職員研修所で、参加者の提案報告を受けた総括講義を行った。この研修会は「地方創生2.0」を想定して7月に始めたが、高市政権になり「地方創生2.0」は11月11日の閣議決定で「地域未来戦略」と看板が変わった。でも、自治体が直面する少子化問題はなんら変わらない。

 多摩地域30市町村の業種別労働力不足を紹介し、地域レベルの生活サービスの供給制約が、政府が目指す企業の生産性向上を妨げるのではないかと話してきた。

 

 

ミツカン水の文化センター終了への辞

 2025年12月をもって、ミツカン水の文化センターを閉鎖するとのお知らせがあった。

活動終了のご案内|お知らせ|ミツカン 水の文化センター

創設が1999年1月なので、26年のプロジェクトに終止符が打たれることになる。

 このセンターは、私にとっても思い出深い存在だった。

 私自身は創設準備期から広告代理店の依頼を受け、立ち上げを手伝い、水文化という「制度・ルール」がおもしろいテーマだったこともあり、かなりの時間をこの活動に捧げ、2020年秋に離れた。
 この間、社員・スタッフともども「日本水大賞厚生労働大臣賞」を受けるなど、それなりの評価を受けてきた。

 その秘密は、水という河川、上下水道、工業用水、地下水、環境、森林、海岸、われわれの食、すべてにかかわっている大事な存在を、相互につなぎ、公共事業の中で固定されがちな「あたりまえ」と思われる水文化というルールを、現代流に再定義しようという試みが、新鮮に映ったからだと思う。

 水文化の解釈には共有資源管理論(コモンズ論)やソーシャル・キャピタル論を用い、総称して「人と水との関わり」と説明したが、他にもいくつかの理論を持ち込んだ。それを抱え、各地の現場取材や有識者に会い、アクティブ・インタビューを行った点に意義があったと思う。「わかる人にはわかる」し「生活者には、驚きを与える」という点を心がけ、年3回発行の機関誌も私は2010年頃まで企画編集した。

 しかし、26年は長い。

 スマホ化、個人化が進む世の中で、水文化は変わる。
 2011年の東日本大震災や2025年の能登半島地震、その間の想定を超える災害で、水文化も変わった。
 それに、2025年の夏、四季の国から二季の国となり、水文化は変わりつつある。
 こうした変化に、生活者の参考となる指針を示すのは大変なことだろう。

 しかも、民間企業が資金提供する団体なので、SNS時代の中で、なるべく顧客から文句が出ないように活動をするようになる。
 当初は熱を込めた社員やスタッフもいなくなり、自らデザインせずに仕事する人が出てきたのかもしれないし、それはそれで組織の中ではよくあることだろう。

 最近5年間の事情を私は知らない。
 でも、あえて閉鎖を選んだということは、一つの決断として尊重したい。
 新しい水文化は、新たな人が創ればよい。
 つまり、熱をもった人々が立ち上げたプロジェクトを承継するのは、簡単ではないことを示したとも言える。
 ミツカン水の文化センターを応援して思いを寄せてくれた人々に、作り手は感謝をしていることだろう。
 26年間、ご苦労様でした。

 企業による文化活動は、立ち上げ時よりも、評価を得てからの方が難しい。ここに一文を残すこととする。

内水氾濫の様相が変わってきた 9/11の豪雨

 9/11、東京南部を中心に豪雨があった。東急大井町線や池上線が止まったり、立会川が溢れたり、戸越銀座商店街が川のようになったり。

 吞川上流で東京科学大学(昔の東工大)に隣接する緑が丘では、一時間に113ミリの雨が降った。このため、昔からの暗渠河川の近くは、排水が追いつかなくなり、あふれ出たアスファルト道路の上を川のように流れた。内水氾濫だ。

 自由が丘、武蔵小杉といった窪地には、水が流れ込んだ。

 窪地への坂に通じる道(大田区上池台の学研通り)も周囲の高台から水が流れ込み、川のようになり、坂の途中にある東急ストア上池台店は浸水し、今日時点も店は開いていない。

 9/11の内水氾濫がこれまでと違うのは、「ここは安心」と思っている高台の土地でも、下水路から一時的に水があふれ、店が浸水した事例が出てきたことだ。

 例えば、東急ストアの雪が谷店は高台にあるのに、排水溝からあふれた水が店内に浸水し、翌日は休業を余儀なくされた。

 これからは、高台でも、排水溝からあふれるような降雨がくるのだろうか。高台だから内水氾濫は大丈夫!とは言えない時代がやってくる。

 

天草~坊津紀行

 天草市崎津集落潜伏キリシタンの里。私の好きな映像作家、源孝志さんのドラマ「True Colors」の舞台でもある。漁業集落で、教会のある場所は、江戸期は庄屋土地で絵踏がされていたという。

世界文化遺産 崎津教会

 次の日は、薩摩の坊津に足をのばした。江戸期の薩摩藩密貿易、あるいは琉球を通した貿易口の拠点だった。

坊津

 山川、開聞岳、枕崎と周り、ここから遣唐使船が出航した地理的な意味がわかった。水平線には硫黄島がくっきりと見える。

 帰りは知覧で特攻隊資料館を見たのだが、散っていった、つまり、上官に殺されていった隊員の顔写真と遺書・手紙(多くは親宛)ばかりが並んでいる。そして例えば大西瀧二郎中将のような殺した上官側を記憶に留める説明はなく、ただただ国のために死んだ人のことを思い平和を願いましょう、という展示。人を殺す命令をした上官は記憶から消され、死んだ者ばかりが美化されている。好きで特攻志願したわけではないのに。気持ち悪く、怒りがわく。

 最後に、25年ぶりに尚古集成館を訪れたが、産業遺産展示館だったのが、島津家記念館に変わっていて驚いた。産業遺産のはずなのにな~。