春に続き、夏の燕三条を取材。(株)つばめいと、山谷産業、遠藤商事を取材。つばめいとの若林さんからは、学生インターンシップで宿泊や研修もできる施設を紹介いただき(これが実に良い)、齋藤さんとは吉田駅に近い店「鳥っこ」で「半羽からあげ」を食す。カレー味で美味。同行の新西先生と、うまいうまいとほおばりながら、齋藤さんと話がはずんだ。
また、今回は新西先生に「横田切れ」石碑と、大河津分水資料館を案内。つばめの地勢、開発文化を感じてもらった。
飛騨高山の民藝品店・私設図書館「やわい屋」主人にして、高山市内の日下部民藝館の学芸員?(正式な肩書きはわからないけれど)の朝倉圭一さんとお会いしたのは、2022年の夏だった。日下部民藝館で日下部暢子氏・日下部勝氏にインタビューでうかがった折に、朝倉さんが側にひかえていた。若いのに該博な知識と的確な答えをしていただき、強く印象に残った。翌月には、「やわい屋」(これが国府町という絶妙の位置にある古民家のお店)にもうかがい、いろんな話をした。
その朝倉さんが、『わからないままの民藝』という本を出版され、既に重版を重ねている。
高山の民藝運動、民藝運動の現代への応用を考えるならば、ぜひとも読んでいただきたい。本の帯には、次のように書かれている。
「わからないまま」は、「わかる」や、「わかった」よりもずっと信頼できる。
この言葉は、私の専門の公共政策で「わかったような言葉のはんらん」にうんざりしている自分には、刺さった。
最近、民藝運動の現代的解釈を行った本が出始めている。著者も、民藝について考えるのではなく、「民藝で」考えたと伝えていただいたが、SNSだらけの現代を考える上で、一つの指針を示す良書だと思う。
東京都市町村職員研修所の主催で、「政策デザインゼミナール-エフェクチュエーションによる人口減少社会の地域づくり」研修が開催され、7月12日に基調講演を行ってきた。計6日に渡る研修の初日で、研修講師を務める。多摩地域市町村職員など、オンラインも含め多くの方に聞いていただいた。
最初、事務局の方からこの話をもちこまれた時、デザイン思考で政策を進めないと時代についていけないし、PDCAに凝り固まっていたらダメですよ・・・というような話をした。エフェクチュエーションの話も紹介し、既存とは違う政策プロセスの話ならしますけど・・・と伝えたら、懐の広い事務局から、私のようなアウトサイダー的政策研究者が話をする機会を頂いた。
集まっていただいた若手職員の方もフットワークが軽く、午後の研修の部屋にはきもちのよい風が吹いてきた。
このたび、『多摩学への試み-多摩地域研究』が多摩大出版会・ぶんしん出版より発刊されました。
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目次を記しておきます。
序言 「多摩学」への思い(寺島 実郎) 3
(再録)多摩の地域史が世界史につながる瞬間 5
第1 部 多摩地域の時代認識
第1 章 時代認識のための多摩学(中庭 光彦) 17
第1節 多摩を調べることで広がる視野 18
第2節 多摩大学の「多摩学」―時代認識のための多摩学 22
第3節 時代に応じて異なる地域学 25
第4節 地方の時代の多摩地域問題 30
第5節 多摩で考える想像力 35
第2 章 八王子千人同心による蝦夷地開拓(中庭 光彦) 39
第1節 八王子千人同心とは 40
第2節 八王子千人同心の異文化体験 42
第3節 松前藩の蝦夷地経営 44
第4節 幕府の蝦夷地政策の転換 52
第5節 千人同心が理解した使命とは 56
第6節 蝦夷地での千人同心 59
第7節 八王子千人同心は多摩を探る視点の出発点 64
第3 章 自由民権運動と三多摩壮士(中庭 光彦) 67
第1節 自由民権運動の見方 68
第2節 多摩地域における自由民権運動の概観 71
第3節 壮士と青年の分離 75
第4節 神奈川県議会と多摩地域の東京府編入 78
第5節 実業家利光鶴松と村野常右衛門 87
第6節 京浜工業地帯と横浜・東京 93
第7節 三多摩壮士が体現する周縁性 95
第4 章 軍需産業による「多摩-京浜地域」形成(中庭 光彦) 99
第1節 軍需産業地域としての多摩 100
第2節 多摩地域への工場立地 101
第3節 軍需産業に対応した住宅政策 105
第4節 中島飛行機の意味 110
第5節 多摩地域と京浜工業地帯との関係強化 114
第5 章 少子高齢化社会 多摩地域の意味(中庭 光彦) 117
第1節 東京の第二郊外化地域である多摩地域 118
第2節 ディペンデントハウス 124
第3節 東京に流入する労働者と団地建設 126
第4節 多摩ニュータウン 129
第5節 生活最小限住宅とアメリカン・ライフスタイルの結合 133
第6節 私鉄による沿線開発ビジネスとショッピングセンター 139
第7節 人口ボーナス退出後の多摩地域 142
第6 章 西多摩における人と自然(松本 祐一) 149
第1節 西多摩地域の概況 150
第2節 「緑」の歴史と西多摩 154
第3節 大都市郊外における観光の価値~奥多摩の誕生 160
第4節 人と自然の新しい関係に向けて 167
第2 部 多摩学の実践
第7 章 インターゼミ多摩学班の歩み(荻野 博司) 173
第1節 14 年間の集積 174
第2節 「大いなる多摩」 177
第3節 多摩の魅力―住みやすさの追求 181
第4節 ニュータウンへのまなざし 185
第5節 地域のサステナビリティ 191
第6節 防災にとりくむ 195
第7節 多摩大学の役割 197
第8 章 多摩学研究の展開(松本 祐一) 201
第1節 多摩学の社会工学的実践 202
第2節 創業支援事業の背景と経緯 205
第3節 多摩市と多摩信用金庫との創業支援事業の展開 211
第4節 創業支援プラットフォームの構築 218
第5節 郊外のワークスタイルを創造する 222
第9 章 多摩学研究とインターゼミ(荻野 博司) 227
第1節 多摩学事始め 久恒 啓一(多摩大学名誉教授) 228
第2節 多摩地域の金融機関史から見る多摩学 長島 剛 234
第3節 多摩学班の第1 期生、子ども食堂の女将として活躍中 240
川野(鮎川)礼さん
おわりに (中庭 光彦) 244
日本で唯一の河川書誌家、河川文献収集家であった古賀邦雄さんが亡くなった。先週、久留米での通夜に参列したが、この25年ほどの記憶が点景のように私の頭を回っている。
はじめてお会いしたのは、1999年か1998年後半だったと思う。水の文化センター立ち上げの中心メンバーに古賀さんが入っていたので、当時日田まで会いに行ったのが最初だろう。ちょっと記憶が薄くなっている。
水機構でかつて補償担当の仕事も長く携わっていたこともあり、その知識は深かった。夜にお電話して、いろんな質問をして長電話につきあっていただいたこともしょっちゅうだった。フィールドワークにもしょっちゅうおつきあいいただき、山田堰や城原川、柳川などを歩いた頃を、思い出す。
古賀さんは筑後川の文化、ダムの文化、補償の精神、河川の碑の調査など、筑後川をホームグラウンドにしながら、全国の河川文化を見ていらした。そして退職後は、私費で古賀河川図書館を筑紫野につくり、その後、久留米のご自宅につくり資料を若き研究者に提供していた。その蔵書もいまは久留米大学古賀河川文庫に収められており、河川資料の一センターとなっている。
お世話になったこの記憶を、ここにとどめておきたいと思う。享年81歳。ご冥福をお祈りします。
オランダ、ベルギーに1週間ほど滞在してきました。
オランダは20年ほど前に水管理の調査で訪れていますが、今回は観光モード。といっても、合理的な国柄だけあっ
て、人口減少や多民族化における成長力のカギを見つけることができました。それについては、またの機会に書きます。
レンブラントの「夜警」、フェルメールの「デルフト眺望」とも再会。
ブリュッセルのミュージアムでは、家族とこどもだけではなく、多民族の社会人も展示を見入っており、EUへの移民の市民社会教育施設として機能していることも目にしました。
足を伸ばした中世の港湾・水網都市ブリュージュではマルクト広場鐘楼に登ってきました。
旅に出たら、高い所から眺望し、小径に分け入る。これが私の流儀です。
三日間にわたり、岡山県内を視察。最初は、奈義町の合計特殊出生率が周囲に比べ異常とも言えるほど高いため、その取材のためにと、役場の情報企画課副参事の小坂氏より、話をうかがい、ある程度了解できた。
折角なので、奈義から30分程行くと、鳥取県智頭町。この町も歩く。
1日目は、岡山市内で、以前お会いした「みんなの集落研究所」の阿部さんと再会し、情報交換。
2日目は、智頭、奈義町の山の駅でおいしい肉と野菜のバイキング。奈義は黒ボク土で野菜がおいしいし、奈義牛もうまい。午後は奈義町役場でインタビュー。
3日目は、ベンガラの町並みで有名な、高梁市の吹屋。そして、倉敷市真備町、岡山市の備中高松城跡と巡ったが、3日とも曇天か雨。特に今日はどしゃぶり。
雨と霧にけむる吹屋の町並みも良いもので、資料館の方に説明をうかがう。いまは103目の住民だが、一時は5千人以上住んでいたという。石見銀山の大森町を思い出したが、豪商による山上の楽園という趣。ここもAdaptive Reuse。
この三日間の取材は、春秋の私の授業・ゼミでの紹介ネタになる。