記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

政策はツリーではない

 年度末、年度初めになると自治体が「○○総合計画」づくり、「○○マスタープラン」づくりに協力してくださいと相談を受ける。担当者にお会いした時に最初にお話するのは「政策はツリーではない」という意味のこと。
 もちろん、この言葉、グレゴリー・アレグザンダーの有名な論文「都市はツリーではない」からとっている。
 アレグザンダーは当初、都市計画に数理的方法を持ち込もうとし、都市に必要な機能を太い幹、細い幹、枝と目的を細分化し、断片化した目的を実現すれば全体としての都市は機能すると考えた。しかし、実際の都市はそうではなく、細い枝がいきなり太い幹でつながっていたり、同じ細い幹がからまってつながっている。まるで根っこのような形で、必要な機能を細分化したからといって、都市が実現するわけではないことを示した。この構造をアレグザンダーはセミラティス構造と呼んだ。
 同じ事が政策にも言える。今でもきれいなツリー型の計画をつくる自治体が多いが、それを実際に実現しているのは実はセミラティス構造の共同体。私の言い方なら、コミュニティ3.0だ。
 1990年代後半は、政局と政策は別だと、政策づくりが重視された。でもエレガントな政策ほど役に立たない。提案書づくりが目的ではないわけで、政策実施に大事なのは、実は政治だった。ということを、実現しない、あるいは繰り返される政策を見ると、今更ながら思い知らされる。政策はツリーではない、ということは、政策と政治は違っており、政治がもたらすセミラティス構造を重視しないと政策は実現されない。このことをわれわれ政策研究者は腹に据えなければならない。現在の行政・議会を見ているとそう思うことが多い。