記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

水開発文化から都市を読む-南多摩の貯水池計画

 昨日は多摩大の社会人向け講座で「水開発文化から都市を読む-大東京水道と郊外化-」というタイトルで1時間ほど話した。昨年、軽井沢夏期大学で話したものの短縮版だ。人口が増え続ける明治東京からの水道整備過程の中で、郊外化が1920年頃から始まり高度成長期まで連続している点や、発電水利の需要が高まり多目的ダムの技術が持ち込まれ、高度成長期につながる河水統制が考えられた---という話をした。

 東京市水道の第二拡張計画の水源検討の際に、小河内ダムではなく、相模川からの取水も考えられ、その場合、稲城、多摩大が建っている山の下の馬引沢の谷、柚木の三つの谷のどれかに貯水池をつくる検討をした。結局、相模川の河水統制事業を優先したため、この案は幻になったが、もし貯水池が造られていたら、後の多摩ニュータウンも無いし、多摩大学も他の場所に建っていたかもしれない。

 水開発が、後世の別の開発の選択肢を制約する好例である。

 ちなみに、結局相模川ではなく、多摩川小河内ダムが造られたわけだが、小河内村を立ち退いた人々は青梅や羽村へ移住あるいは、現在の北杜市八ヶ岳の麓の開拓民となって入植した。

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