記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

オーラルヒストリーに対する誤解について

 3月に御厨貴編『オーラル・ヒストリーに何ができるか』(岩波書店)が書店に並んだ。その中に若林悠(東大先端研特任助教)による「オーラルヒストリーにおける『残し方』」が収録され、かつて私が手がけた『オーラルヒストリー多摩ニュータウン』や、西浦定継先生の多摩ニュータウンオーラル、梅崎修先生による労働史オーラルの資料の残し方、製作の工夫点が取り上げられている。

 若林先生からインタビューを受けたのが2016年5月だったので3年弱を要しての発刊である。本書は他の著書も含めてオーラルヒストリーのつくりかたよりは、使い方の方に重点を置いたもので、やっとこのテーマが書籍になる時代が来た・・・時間がかかったなぁという実感だ。

 私が多摩ニュータウン計画初期の動きに関わったキーマンに聞き書きを行ったのが2008年。それまで都市計画・建築・公園等の分野から「がんばって造った」というような物語が再生産されていたのが不満で、国土計画と産業政策の視点、ならびに受け入れ側の地主の視点を絡めオーラルヒストリーをつくった。当時は、オーラルヒストリーでは相手が本当のことを話しているのかどうかわからない、やはり文字史料の方が安心という空気があったし、今も残っている。しかし物語-本人と社会が共有して筋立てをして相手にわかってもらえるだろうと構成した、過去の意思決定のプロセス-をあからさまにするオーラルヒストリーならではの特徴が受容されてきたと思う。

 というわけで、物語だから異なる情報までをも含んでいて良いのだ。オーラルヒストリーは史料だから正確であるべきだと考える事前期待と、実際のオーラルヒストリーとの差。この差は、現実につくった経験のある人でないとわからないが、文字は良くて口述も文字の正確さに近づけるべきというのは誤解であるとうのが私の見解である。

 いま多数のキーマンへの聞き書き史料をもとに書かれた良書が発行されている。西野智彦『平成金融史』(中公新書)。バブル崩壊時から金融危機、脱デフレの主要メンバーの意思決定プロセスが発言入りで物語られている。それぞれの役者がどの程度想像力があったのか、党・政治家、企業、官僚がどのような綱引きをしたのか、泣きたくなるような喜劇が描かれている。

 西野氏の取材メモも実は重要な史料でアーカイブに入れていただきたいぐらいだ。同じ時期を取材しても聞く相手によって話の解釈が異なり、物語も変わってくるのがオーラルヒストリーで、農林中金関係からの話を軸に置くと(おそらく聞けないだろうけれど)全く別の物語が生まれる。

 私は今ではいろんな地域を訪れ聞き書きをしてエッセイを書いているが、その経験に基づくと、オーラルヒストリーや聞き書きをつくることは、風景を解釈して構成するのにそっくりだ。

 

 

 

オーラル・ヒストリーに何ができるか: 作り方から使い方まで