8月に軽井沢夏期大学で、戦前の東京市水道について話すこととなった。
東京市は1910年代から郊外化が著しく、1932年には大東京市35区(ほぼ現23区の範囲)に広がる。人口の増加も激しく、その増加率が鈍るのは1960年代の高度成長期だった。
私たちはつい戦後という眼で歴史を見る。「いや、そうではなく1940年体制だ」と野口悠紀夫氏は間接金融体制の成立をもって主張する。しかし、人口の増加集積とそれに伴う水道整備という点から見ると、1920年代から高度成長は連続しており、戦時の人口減少は、その間のアクシデントと考えた方が妥当である。
この間でも、特に1930年代前半が大きな意味をもつ。それについて話すつもりだ。