記憶の旅 中庭光彦の研究室

都市や地域の文化について

継承責任

 私が水について関心をもち始めた1998年、日本の水政策は縦割りは頑丈に見えた。そこに、社会科学、特に公共政策、都市・地域社会学の分野から総合的に串を刺してみようと思い2003年からある企業で「水文化」のコンセプトを構築し発信し始めた。幸い、多方面から評価いただいた。

 それから22年。私は2011年から大学教員となって都市・地域政策を教えている。一応65歳の定年まであと何ヶ月あるのだろうか?数えてみると84ヶ月。意外と少ない。にもかかわらず、やり残した仕事は、たくさん残っている。

 私は何を将来に受け継がねばならないのか?箱根駅伝で言えば20kmのうち、15kmまで来ている。あと5kmをブラブラ歩いても、極端に言えばバトンを放り投げてもよいのかもしれない。でも、それってカッコ悪いよね。

 こんな気持ちがあり、昨年10月、22年にわたり共に水文化を発信してきた企業に卒業を申し入れた。そして一昨日2月28日でアドバイザーの契約を終了した。

 あとはやり残した仕事を、かたちにしていかねばならない。